「必要」という言い訳をしてた過去。本当に必要なモノに気付くためのロングワインディングロード。
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自分の消費行動を振り返る時、
購入を決めるその瞬間、
「必要だから」という、
何とも都合のいい「言い訳」をずっとしてきたんじゃなかろうかと思う。
一見、正論にも思える、必要だという言葉。
これが正義であると長年思ってきたけれど、
そう思って手に入れたモノたちが、
今ほとんど手元に残っていないのはどうしてなんだろう。
例えば、
あのワンピースには絶対このヒールを合わせないとダメ、
このヒールが絶対に必要だわ、
買ってもいいよね、ってな具合で。
この買い物には必要という大義名分があるのよ!と、
自分の買い物に、なぜか自信満々だったよね(苦笑)
あのお品物、どこへやっちゃったんだかね。
その時は必要だと疑わなかったのに、
結局残っていないということは、さほど必要ではなかったということ。
「必要だから」が単なる自分に都合のいい「言い訳」だったことは、
今の暮らしで自然と答えが出ているね。
今の私と家族の暮らしに必要なモノは、
まずは住む家と車。
家を心地よい場所にしたい。
その情熱はいつも消えない。
車は買い物や送迎、レジャーや帰省と、
ペットも連れて移動する今の家族構成にはなくてなならないもの。
これからも買い替えつつ持ち続けると思う家電は、
冷蔵庫、洗濯機、テレビ、エアコン、オーブン付き電子レンジ。
小型家電だと、小さい掃除機。これは絶対必要だな。
炊飯器は今はあるけれど、もっとスローペースの暮らしになったら手放せるかもしれない。
鍋で炊くのが夢。
テレビは、もしかしたら、ひとり暮らしなら要らないな。
その代わり今は、パソコンとスマホは、私には必要だな。
あとは、心地よい洋服と温かいお布団は絶対。
つらつらと考えていて、
私に今必要なモノには、「快適」というキーワードが当てはまることに気が付いた。
あんなに好きだったハイヒールも、
快適じゃないから手放したんだもんね。
「便利」とか「おしゃれ」とか「見栄をはれそう」とか、
そういうキーワードももちろん魅力的ではある。
かつての私は、この魅惑のキーワードに、
冷静に要不要を判断することを妨げられていたんだと思う。
モノだけじゃなく行動も、
人から見てオシャレかとかカッコいいかとか、
そんな基準が多かったなって思う。
若さゆえ(^^;
けれど後悔とかは無い。
今のこの心境にたどり着くためには、そんな失敗も必要だったのだから。
たくさんの経験をして、
たとえ一時的だとしても、
素敵なモノを手に入れた満足感や高揚感、
それによって何となく自分に自信が持てたりしたのだから。
本当に必要なものに気付くための、
長い長い、曲がりくねった道だったのだよね。
凪